
2003 NIKE Juventus FC Hooded Training Jacket
color:Black
size:M
身幅61cm
裄丈77cm
着丈74-80cm
BODY:100% POLYESTER
LINING:100% POLYESTER
MADE IN INDONESIA
2003年にナイキがユヴェントスFC(JUVENTUS FC)のために製作したトレーニングジャケット。
ナイキ独自の防風・撥水素材「CLIMA-FIT」を使った、軽くて機能的な一着です。
シャリっとした質感のポリエステルシェルに、内側は総メッシュライニング仕様。
風を防ぎながらムレを逃がす構造で、街でも快適に着られます。
袖下にはベンチレーションジップ、そのすぐ下にはジップポケットを備えた実用的なデザイン。
フロントは開閉しやすいフルジップ仕様で、胸元にはナイキのスウッシュロゴとユヴェントスのチームエンブレムが配されています。
肩まわりは動きやすいラグランスリーブ、襟には収納式のパッカブルフードが付き、天候やスタイルに合わせて出し入れ可能です。
胸のスウッシュロゴとユベントスのエンブレム刺繍、左袖のCLIMA-FITロゴが程よいアクセントに。
裾のドローコードや袖口のシャーリングで、シルエットの調整もできます。
チームを象徴するブラックカラーは、ユヴェントス伝統の白と黒=ビアンコネロを受け継ぐ色。
ホームユニフォームの白黒ストライプと同じく、クラブのアイデンティティを感じられます。
フットボールの空気感を残しながら、ストリートにも自然に馴染むフーデッドジャケットです。
スタイリングは、モノトーンのナイロンパンツやトラックパンツを合わせてスポーティにまとめたスタイル。
足元はアディダスのサンバやプーマのスウェードなど、クラシックなローテクなスニーカーが好相性です。
デニムやカーゴパンツで外してもバランスが良く、
ホワイトやイエローのインナーを差すと、ユヴェントスらしいビアンコネロ配色が際立ちます。
キャップやサッカーマフラーを加えることで、ストリートとサッカー文化が自然に混ざったフットボールカジュアルなスタイルに仕上がります。
史上最も退屈なファイナル
PK戦による決着と同時にそう酷評された2002-03シーズンのチャンピオンズリーグ決勝には、2つの側面があった。
ひとつは、決勝で対峙したユヴェントスとミラン、さらにインテルを合わせた3チームが4強に駒を進めたことによる「カルチョの復権」。
もうひとつは、ユヴェントスとミランの頂上決戦があまりにも退屈だったことによる「カルチョの衰退」である。
つまり、華やかな1990年代を終え斜陽期を迎えていた当時のセリエAは、ベスト4決定時点でその名誉を一時的に取り戻し、決勝であっさりと手放した。
その意味において“史上最も退屈な”2002-03決勝は、サッカー界全体における大きな転換点だったと言えるかもしれない。
当時のセリエAは、まだ「世界最高リーグ」の称号をギリギリのところで維持していた。
王者ユヴェントスには、同年のバロンドールを受賞するパヴェル・ネドヴェドを筆頭に、キャリアハイのパフォーマンスを示した“イタリアの至宝”アレッサンドロ・デル・ピエロ、相棒のフランス代表FWダヴィド・トレゼゲ、オランダ代表MFエドガー・ダーヴィッツ、そして守護神ジャンルイージ・ブッフォン、リリアン・テュラム、ジャンルカ・ザンブロッタらスター選手が顔を揃えていた。
国内リーグでは21勝9分4敗で2連覇を達成。
CLでは準々決勝でバルセロナ、準決勝でレアル・マドリードと、優勝候補に挙げられたスペイン勢を次々と撃破した。
特に2001年夏にユヴェントスを去ったジネディーヌ・ジダン擁するレアル・マドリードとの準決勝は鮮やかな逆転劇であり、イタリア王者の健在を力強く示す結果となった。
一方、準決勝でインテルとのミラノダービーを制したミランにも、ユヴェントスに劣らぬタレントが揃っていた。
2トップはウクライナ代表FWアンドリー・シェフチェンコと、イタリア代表のゴールハンター、フィリッポ・インザーギ。
中盤にはピルロ、セードルフ、ガットゥーゾ、ルイ・コスタといった名手が並び、最終ラインにはマルディーニとネスタという鉄壁のコンビがいた。
決勝の舞台はオールド・トラッフォード。
“母国”イングランドの聖地で繰り広げられた120分間は、激闘という言葉がふさわしかった。
しかし、それでいて「史上最も退屈なファイナル」と評されたことには理由がある。
当時「世界最高リーグ」だったセリエAには、各国のスター選手が集まっていた。
だがその反面、イタリア人特有の“負けないサッカー”が極端に深化し、戦術的な駆け引きは観る者の理解を超えるほど緻密になっていた。
ユヴェントスのマルチェロ・リッピ、ミランのカルロ・アンチェロッティ。
両監督は互いに攻撃の生命線である中盤のパスワークを徹底して潰し合った。
ユヴェントスはデル・ピエロが低めの位置を取り、ダーヴィッツやタッキナルディと連動してピルロとルイ・コスタを封じる。
ミランもガットゥーゾとセードルフを低い位置に置き、ザンブロッタやカモラネージのサイド攻撃を無力化した。
その結果、ボールは中央を行き来するだけで、ダイナミックな動きが消えていった。
両者の“負けないサッカー”への執着は時間とともに深まり、120分をスコアレスで終える。
オールド・トラッフォードが揺れるような歓声が上がる場面は、ほとんど訪れなかった。
迎えたPK戦。
ユヴェントスのブッフォンはセードルフとカラーゼのキックを止めたが、ミランのジダはトレゼゲ、サラジェタ、モンテーロを阻止。
最後はシェフチェンコが冷静に決め、ミランが欧州制覇を果たした。
レアル戦で累積警告を受けたネドヴェドは、出場停止で決勝に立てなかった。
「彼がいれば違った」という声も多かったが、おそらく結末は同じだっただろう。
それほど当時のセリエAは“負けないための戦術”に縛られ、観る者の共感を失っていた。
ネドヴェドは後にこう語っている。
「ユーヴェはCL決勝でミランに負けた。しかも僕自身はプレーできなかった。バロンドールは“残念賞”にしか思えなかったよ。あの賞を思い出すたびに、あの悔しさがよみがえるんだ。」
ユヴェントスとミランの同国対決は、当時のイタリアサッカーにとって誇らしい瞬間であり、同時に限界の象徴でもあった。
戦術が極限まで進化した結果、スターの華が消え、“負けないサッカー”が支配した。
イングランドという特別な舞台で行われたイタリア史上初の同国対決は、皮肉にも「史上最も退屈なファイナル」と呼ばれることになったのだ。
“たられば”を語るのは無意味だが、もしあの時、レアル・マドリードが決勝に進み連覇を果たしていたなら、セリエAの衰退はもう少し先延ばしにできたかもしれない。
それほどまでに、2002-03シーズンのCL決勝が持つ意味は重く、イタリアサッカー史において小さくない転換点だった。