●ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」
●シェーンベルク:「浄夜」(1917/1943)
●ヒンデミット:組曲「気高い幻想」
録音:1955年7月7日
1951年10月の複雑骨折の2か月後、入院中のクレンペラーは胸膜炎と肺炎の発作に苦しみ、抗生物質の反復投与のため弱体化して年末を過ごし、さらに急性胃痛に苦しむという状況に陥っていきますが、春にはなんとか松葉杖で歩けるまでに回復し、座ってなら指揮できるようにもなっています。1952年4月22日にはさっそく、入院滞在地のモントリオール交響楽団に客演して高い評価を獲得していましたが、翌日には、若き日の恋人、エリーザベト・シューマンの訃報に接し悲嘆にくれています。シューマンとは数日前に電話で話したばかりでした。
悪いことは続くもので、翌月、EMIと契約し、ヨーロッパに出かけようとしたクレンペラーを待っていたのは、アメリカ政府が新たに制定したマッカラン=ウォルター法による帰化外国人の海外滞在制限でした。当時のアメリカでは、ケネディも支持した「赤狩り」旋風が吹き荒れており、クレンペラーの職場がハンガリーだったことから共産主義活動の嫌疑をかけられ、また、なぜかナチ疑惑まで浮上してややこしいことになっています。結果、パスポートの更新拒否という処分となり、1953年12月に弁護士を雇っての交渉が実を結んで再び出国できるまで、1年半のあいだは北米限定での活動を余儀なくされることに。
その間、1952年7月のシカゴ交響楽団との共演は聴衆からも団員からも称賛され、娘のロッテも過去最高だったという意味のことをトッホ宛ての手紙に書くなど、良い出来事もありました(当時のシカゴ響音楽監督はクーベリック)。
1954年1月、ヨーロッパに戻ったクレンペラーは、まずオランダのハーグ・レジデンティ管を本拠地で振り、続いて彼らを率いてコンセルトヘボウ大ホールでも公演をおこなって大成功を収め、以後、コペンハーゲン、パリ、エッセン、ケルン、ベルリン、ケルン、チューリヒ、フィレンツェ、ロンドン、アムステルダム、ケルン、ロンドン、リスボン、ハーグ、ベルリン、ロンドンと各地で指揮、年末まで多忙でした。
コンセルトヘボウ大ホールでハーグ・レジデンティ管を指揮して成功したことは、1951年の公演後、クレンペラーを遠ざけていたコンセルトヘボウの運営陣にとっても無視できない事態となり、さらにマリウス・フロトホイスが、次の芸術監督就任を狙って実績づくりのために動き、クレンペラーはさっそく年末の公演に招かれますが、これはクレンペラーの虫垂炎によってキャンセルとなります。
翌1955年1月、クレンペラーはスイスに帰国するものの、今度は前立腺が原因の膀胱炎となり、3月の緊急手術で良性の大きな腫瘍を取り除き、これによりクレンペラーの体調は急速に回復。
4月にロンドン、5月から6月にかけてケルンで仕事をしたクレンペラーは、7月のコンセルトヘボウ管弦楽団の公演にも招かれていましたが、これをチャンスと見た娘のロッテは、それまでよりも大幅に高い出演料を要求して交渉に成功していました。
4年ぶりにコンセルトヘボウ管弦楽団と共演することになり、さらに出演料の大幅アップも果たしたクレンペラーが指揮したのがこの7月7日のコンサートです(同内容で7月9日と10日にも演奏会を実施)。
このときのクレンペラーは絶好調で、「嵐」の凄まじい迫力などほかでは聴けないものとなっています。
クレンペラーとシェーンベルク[1874-1951]の関係は、クレンペラーがヨゼフ・マティアス・ハウアー[1883-1959]に対し、さまざまな助言をおこなって作品上演や出版に尽力し、結果的に12音技法の始祖にしてしまったことから悪化。クレンペラーの方はあまり気にしていなかったようですが、その後もシェーンベルク側に感情面でのしこりが残り、それが生涯に渡って続くことになったようです。経済的に困っていたシェーンベルクに対し、クレンペラーがブラームスのピアノ四重奏曲の編曲仕事を依頼した時も、シェーンベルクは初演を別なところでおこなおうとするなどしていました。
税金支援の無いロサンジェルス・フィル時代に、出資者たちを集めて説得するための会合で苦労を数多く経験し、演奏会収益と真剣に向きあわざるをえなかったクレンペラーにとっては、12音作品はすでに関心外だったようで、それがまたシェーンベルクの不満の要因にもなっていました。
クレンペラーの「浄夜」は、ゴツゴツと緊迫して異様な高揚を見せ、通常の演奏とはずいぶん印象の異なるものとして知られています。ここで聴けるのは、浮気して子供出来ちゃったけど許して欲しいという女のムチャな言い分に対する、男の大袈裟な葛藤という情景なのですが、クレンペラーの演奏で聴くと8分あたりから恐ろしいことになります。もっとも、それにはアルヒフォン旧盤(ARC-101)の低音強調が度を越していたという問題もあると思うので、今回の新盤でどうなっているか、混信問題も含めて気になるところです。
続く「気高い幻想」は、神の道化師とも言われたアッシジの聖フランチェスコについての作品で、享楽的な人物が宗教の力で変貌し、やがて聖人に列せられるまでになるという話。
1955年7月7日のコンサートは、自然への感謝の「田園」、愛への感謝の「浄夜」、神への感謝の「気高い幻想」ということで、3つの感謝音楽を並べた構成となっていますが、もしかしたらこれは久々の復帰とギャラのアップを叶えてくれたコンセルトヘボウ芸術監督フロトホイスへの感謝という意味合いもあったのかもしれません。(HMV)