日本中央競馬会(にっぽんちゅうおうけいばかい[4]、Japan Racing Association、略称:JRA)は、競馬法(昭和23年法律第158号)により競馬を行う団体として、農林水産大臣の監督を受け[5]、日本国政府が資本金の全額を出資する特殊法人である[6]。
監督する部局は、農林水産省畜産局競馬監督課。すなわち、日本中央競馬会は農林水産省の外郭団体である。
概要
旧本部(旧:ウインズ新橋)(2015年7月移転)
旧本部(六本木ヒルズゲートタワー)(2021年8月移転)
日本中央競馬会が資金の一部を協力する道路工事 (2009年撮影)
日本中央競馬会は競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため[7]、1954年に設立された[8]。
競馬法に規定する中央競馬を全国10か所の競馬場で開催し、あわせて競走馬の育成や、競馬学校での騎手・厩務員の養成などを行い、中央競馬を開催する競馬場・トレーニングセンター・競走馬の育成場などの施設を保有している。世界最大の馬券売上げを誇り[† 1]、2019年には約3205億円(第1国庫納付金・第2国庫納付金の合計)を国庫に納入[† 2]し畜産の振興や社会福祉へ役立てられている。
所在地:東京都港区西新橋一丁目1番1号(日比谷フォートタワー)[† 3][15]
資本金:49億2412万9000円
売得金[† 4]:3兆2539億0707万6200円(2022年、前年比105.3%)[16][† 5]
売得金の約70 - 80%が法定上の払戻金(法定控除率20 - 30%)[† 6][† 7]、約10%が第一国庫納付金として支払われ、それらの剰余金が競馬会の運営費[† 7][† 8]となる。
総参加人員:1億9680万2493人[† 9](2022年、前年比110.5%)[16]
国庫納付金:3463億7642万8351円(2021年)[3]
職員数:1,779人(2021年末)[3]
略称「JRA」は、英称「Japan Racing Association」から頭文字を取ったもの。以前は「NCK(Nippon Chuo Keiba-kai[† 10]の略)」を使用しており、1987年にJRAに変更された[† 11]。シンボルマークは榮久庵憲司がデザインし[20]、馬と競馬場のコースをモチーフに楕円形の中に疾走する馬をシンプルにあしらった形とし[21]、配色は自然の安らぎや競馬場の木々や芝[21]、健康的・一般的なイメージの落ち着きある緑色の配色[20](PANTONE 341C[21])、線と線の間を空け開かれたイメージとした[20]。
日本中央競馬会が主催する競走の賞金は、世界の中でもアラブ首長国連邦(UAE)と並んで高い部類である[† 12]。日本中央競馬会の場合は世界最大の馬券売上げが高水準の賞金を支えている。
馬主の団体である日本馬主協会連合会の運営費も日本中央競馬会が負担している。これは「競走協力金 (PDF) 」と呼ばれ、各レースの上位3頭の馬主が所属する馬主協会に支給される。
沿革
前史
1923年に競馬法が制定され、各地で競馬を開催する主催団体として認められた競馬倶楽部が設立され、やがてそれら11競馬倶楽部が合体して1936年に設立された日本競馬会が、当時7競馬場に下賜されていた帝室御賞典(天皇賞の前身)を受け継ぎ、東京競馬倶楽部が創設した東京優駿(日本ダービー)に加えて横浜農林省賞典4歳呼馬(皐月賞)、京都農林省賞典4歳呼馬(菊花賞)、中山4歳牝馬特別(桜花賞)、阪神優駿牝馬(オークス)を創設した。
そして戦後も日本競馬会のもとで競馬が運営されたが、GHQの独占禁止法に抵触するとの見解から、1948年に日本競馬会は解散し、農林省畜産局が直営するいわゆる国営競馬へ移行された。しかし、競馬を直接国が運営するという形態にやがて異論が出るようになり、サンフランシスコ講和条約が成立して、占領期間が終了する1951年前後から、国営競馬の存在が問題視されるようになった。
設立の経緯
この動きに合わせて1951年に全国馬主協会連合会、軽種馬生産農業協同組合、日本馬事協会、全日本調教師騎手会などが政府に民営移管の陳情書を提出し、翌年1952年に政府内に農林大臣の諮問機関として競馬制度審議委員会が設置された。この委員会の委員52名の中には中村勝五郎(中山馬主協会会長)、永田雅一(東京馬主協会副会長)、栗林友二(全国馬主連合会会長)、安井誠一郎(東京都知事及び全国公営競馬協議会会長)、安田伊左衛門(元日本競馬会理事長)、河野一郎(日本畜産会会長)、正力松太郎(関東レースクラブ取締役会長)などのメンバーが揃い、主に競馬施行主体の性格および組織、競馬施行主体の数と統制、納付金、競馬場の数と開催回数、監督機構とその内容、施設の国有財産の処理、そして地方競馬についてを民営移管の重要な問題点として多くの意見が出され論議された。この委員会では地方競馬について意見が分かれて結局最終的な結論を出すには至らなかったが、国営競馬の速やかな民営化、その施行主体は公共性の強い単一の特殊法人でという点では一致した結論が出ていた[23]。
そして政府内でこの競馬制度審議委員会での議論を基調に1年あまりをかけて成案の検討を進めて日本中央競馬会法案を作成し、1954年5月29日に衆議院本会議で可決、5月31日に参議院本会議で修正案が可決、6月2日に衆議院で参議院の修正に同意する形で法案が成立した[24]。
ここに日本中央競馬会法が1954年7月1日に公布されて、7月14日に設立委員が農林大臣によって任命された。この設立委員は、競馬制度審議委員会議長であった荷見安(日本銀行政策委員)、谷田俊二郎(西日本馬主協会会長)、永田雅一、安田伊左衛門、河野一之(大蔵事務次官)、東畑四郎(農林事務次官)の6名で、9月10日に初代理事長に安田伊左衛門が任命され、9月16日に農林省畜産局の直営から、その外郭団体となる団体に施行を引き継ぐ形態で、日本中央競馬会が設立し、9月25日に中央競馬が東京と京都との2つの競馬場でスタートした[25]。
設立後の歩み
→「中央競馬 § 歴史」を参照
組織
2007年までJRAの運営を監視・指揮する機関(役員会にあたる組織)は「理事会」が務めていた。しかし特殊法人改革の一環で競馬法が改正されて、役員組織の上部に位置する新たな最高意思決定機関として、「政府によって外部から選ばれたメンバー」で構成される「経営委員会」が置かれることとなった。
経営委員会
JRAには経営委員会が置かれている[26]。経営委員会では経営の基本方針及び目標その他業務運営の重要事項を決定する[27]。
経営委員会は委員6人及び理事長で組織され、農林水産大臣が任命する[28]。
委員長は委員の互選により選任され、経営委員会の会務を総理する[29]。
委員の任期は3年で、補欠の委員の任期は前任者の残任期間である[30]。委員は再任されることができる[31]。
2023年9月12日現在の委員[32]
片山雅文
小堀秀毅(委員長代理)
酒井順子
田島優子
眞鍋昇
山西健一郎(委員長)
吉田正義
役員
JRAには役員として理事長(1人)、副理事長(1人)、理事(10人以内)、監事(3人以内)が置かれる[33]。
理事長は農林水産大臣が任命する[34]。理事長は競馬会を代表するとともに業務を総理する[35]。理事長は経営委員会にも加わる。任期は3年である[36]。
副理事長は経営委員会の同意を得て理事長が任命する[37]。副理事長は理事長の補佐や事務の掌理等を行う[38]。任期は3年[36]。
理事は経営委員会の同意を得て理事長が任命する[37]。理事は理事長および副理事長の補佐や事務を掌理等を行う[39]。任期は2年[40]。
監事は農林水産大臣が任命する[34]。監事は業務の監査を行う[41]。任期は2年[40]。