ビルマの竪琴[ビデオテープ、VHS、2時間13分](1985年)レンタル落:中井貴一 (出演), 石坂浩二 (出演), 市川崑 (監督) 形式:VHS☆ゆうパケットポスト送料無料
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動作確認済 箱は、傷みがありますが、テープは問題ないです。
1985年7月20日公開。文部省特選。ヴェネツィア国際映画祭特別招待作品。第1回東京国際映画祭クロージング特別上映作品。
製作
1956年にオリジナル版を監督した市川崑は、オリジナル版が、希望したカラー撮影が叶わず、製作会社の日活との軋轢で変則的な上映公開を経験する等、不本意な結果に終わったことから、自身でもう一度作り直したいと考えていた。また、オリジナル版の脚本を担当した和田夏十やプロデューサーの高木雅行が相次いで亡くなったこともあって、鎮魂歌の意味合いでもリメイク版の製作を強く望むようになった。その市川にフジテレビの重役だった日枝久や三ツ井康、映画部長の角谷優などが協力してリメイク版の製作が決定した。オリジナル版に使用された和田夏十の脚本を元に話の大筋は作られているが、冒頭の英国兵のシークエンスや、中盤の水島の行動の詳細などが加えられている。また、本作ではコミカルな演技や描写も演出として加えられている。本作の海外ロケ地はビルマでなくタイであるが、これは製作当時、ビルマが騒乱状態で治安が悪く、ロケが不可能だったためである。ただし、ビルマの寝仏は屋内安置であるため、見栄えとしては結果としてタイロケで正解だったと、市川は後に述懐している。市川としては「念願はかなったことだし、せめて製作費が戻ってくれたら迷惑をかけずに済む」くらいの気持ちだったが、結果として約30億円もの配給収入を稼ぐヒット作となった。
ストーリー
1945年7月、ビルマ戦線の日本軍は中立国のタイを目指して撤退を続けていた。音楽学校出の井上小隊長は兵士たちに歌を教えていた。水島上等兵はビルマの竪琴を操り、部隊の団結と暗号にも役立てていた。小隊は国境近くの村まで来たところで敵軍に囲まれた。敵を油断させるために小隊は竪琴の伴奏で合唱を続け、武器弾薬を載せた荷車を回収し、戦闘準備を整えた。すると、小隊の『埴生の宿』に合わせて、敵も英語で歌い始めたのだった。ここで小隊は敗戦を知り、武器を置いて投降した。南のムドンに護送されることになったが、付近の三角山で抵抗を続ける日本軍に降伏を勧めるため、水島が隊を離れることになる。水島は懸命に説得するが、日本軍は玉砕を選び、最後の戦闘が始まってしまう。辛うじて一命を取り留めた水島はムドンへ向かう道中、無数の日本兵の死体と出会い、愕然となる。帰国することに心を痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地に留まろうと決意し、白骨を葬って巡礼の旅を続ける。
ムドンの橋で小隊はオウムを肩に乗せた水島そっくりの僧とすれ違う。呼び止めるが、僧は無言で去る。井上は物売りの話から事情を推察した。彼はオウムを譲り受け「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンニカエロウ」と日本語を覚えこませる。
数日後、大仏の胎内に隠れていた水島が森の中で合唱する小隊の声を聞きつけ、思わず竪琴を弾き始め、仲間は大仏の鉄扉を開けようとするが、水島は拒む。その夜、3日後に帰国することが決まり、一同は水島も引き連れようと合唱を繰り返す。井上はオウムを水島に渡してくれるよう、物売りの老婆に頼む。
出発の前日、水島が収容所の柵越しに姿を現わす。兵士たちは合唱し、一緒に帰ろうと呼びかけるが、水島は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を伴奏して森の中へ去って行く。帰国の船に乗る井上の許に手紙とオウムが届いた。手紙を読んでいる途中、オウムは「アア、ヤッパリ、ジブンハ、カエルワケニハ、イカナイ」と叫ぶのだった。
「ビルマの 土はあかい 岩も またあかい」(Wikipediaより)